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 私と絵里奈ちゃんが階段を下りて行くと、1階ロビーのところで、ひとりの女性と遭遇しました。
 タイトな黒スカートに赤いジャケットという目立つ姿をしています。年齢は40代半ばくらい。
 私たちを見つけるなり、彼女は、「あのう、すみません」と声をかけてきました。
 「女権擁護委員会はこちらでしょうか?」
 マンションの郵便受けには、部屋番号だけが打刻してあり、そこに住んでいる人物の名前までは書かれていない(女性用マンションなのであえてそうしてある)ので、本当にこのマンションでよいのか迷っていたみたいでした。
 「わたくし、××大学総合政策学部の土橋史子と申します。うちの学生が、こちらでお世話になっているとうかがったもので」
 思わず、私と絵里奈ちゃんは、顔を見合わせてしまいました。
 またひとり、彼をイジメたくて仕方のない女性が増えた……というのが、率直な感想でした。
 絵里奈ちゃんは、複雑な顔をしていました。
 彼の大学に電話をしたのは、彼女だったからです。(フェミニズムの重鎮たちに命令されて行ったとはいえ)
 ただ、もちろん隠し立てするわけにも行かず、私は防災管理センターに彼が囚われていることを伝えました。
 土橋史子さんは、「案内してくださる」と言って、ぐいぐいマンションの奥に入って行きました。


 私たちが防災管理センターに到着すると、すでに女たちが結集していました。
 あきれたことに、女の輪の中心で、女装したひろ君がイスに座らされていました。
 「麻衣子、おそいわよ」
 母裕美子は、私の隣にいた土橋史子さんを一瞥しましたが、無視して、私だけを女の輪の中に誘い入れました。
 明らかに、これ以上、新しい女が増えることを望んでいないという態度でした。
 「麻衣ちゃん、見てよ、これ」
 母裕美子が、彼のジャージの裾をめくり、下半身には何も身に着けていないと説明しました。
 「完全にヘンタイでしょ」
 たしかに、彼は、下半身すっぽんぽんのままで、上半身だけどこで手に入れたのか、女子の赤ジャージを身に着けていました。
 母の言う通り、変態チックに見えました・・。
 さっきまでの"かわいそう"という気持ちが、みるみるしぼんで行きました。
 上原絵里奈さんも、同じ気持ちだったらしく、
 「なにあれ」
 と、うんざりした表情で言いました。
 ひろ君は、両手でジャージの裾をにぎりしめ、限界まで引っ張ることで、おへその下をすっぽりと覆い隠しています。
 「それじゃ、行きましょうか」
 元自衛官の紅林央子さんが、彼の細い手首をつかみました。
 彼は、腰が抜けてしまったように歩けません。
 「おらっ、歩かないと、引きずってくよ!!」
 越石さくらさんが、彼の頭髪をつかんで歩かせようとします。
 「あんた、さっきはよくもあたしのことを突き飛ばしてくれたわねえ」
 「許して下さい!!」
 「なに言ってんだ、許すわけないだろう」
 「ペナルティ!ペナルティ!」
 「まず拷問は免れないわね」
 「二度と逃げようなんて思わないように、懲らしめてやるよ」
 女たちが口々に言います。
 みんな、嬉々としています。
 ひろ君だけは、泣きべそ状態です。
 逃げたことでさらなるペナルティのお仕置きをされることが分かっているのでしょうか。
 やはり自業自得です。


 「その前に、あんた、その服、どこで盗んだのよ」
 榎本美沙子さんが、笑いながら、彼の耳を引っ張りました。
 「……盗んだわけではありません……」
 「じゃ、どこで手に入れたのさ?」
 「正直に言わないと、女の衣類を盗んだ罪も追加するよ!」
 西脇佐和子さんも加わり、尋問が行われます。
 「3年1組島崎さん。そのジャージ、どうやって手に入れたのかな?」  弁護士の榊美華さんが、赤いジャージの胸についているネームを読み上げました。
 「島崎さんて、202号室の島崎真凛子さんかしら。たしか中学のお子さんはいなくて、もっと大きかったはずだけど」
 マンションオーナーの小野りか社長が言いました。
 「わたし、確認してきます」
 防災管理センターの管理人さん(大森あずささんという名前の40後半くらいの女性です)が、フットワーク軽く、駆け出して行きました。
 「もし、盗んだことが分かったら、タダじゃおかない」
 越石さくらさんがニンマリと笑いました。
 管理人さんがなかなか戻って来ないので心配していると、しばらくして、2階の方から、怒りまくる女性の声と、必死でなだめようとする別の女性の声が聞こえて来ました。
 怒り声を上げているのが202号室の住人で、母親の島崎真凜子さん。それをなだめるのが娘の優羽(ゆう)さんです。
 管理人の大森あずささんが、バタバタと続いて下りて来ました。
 「もう!こっちは、忙しいんだよ」
 島崎真凛子さんは、午後から出勤するために、お化粧をしている最中でした。
 ネグリジェをまとった下着姿で、頭にはいくつもカールするためのヘアロールを着けています。
 娘の島崎優羽さんも、スウェットの上下というラフな服装です。
 母娘は防災管理センターに迎え入れられると、すぐさまひろ君と対面させられます。
 元からいた女たちは、彼の首根っこをつかみ、腕をねじり上げて、母娘の前にさらします。
 これまでの事情を知らない人からすれば、明らかに異様なシチュエーションだったと思います。
 しかし、島崎優羽さんは(頭のいい子なのでしょう)一瞬で状況を理解したらしく、
 「だからママ、わたしの服を捨てるときは、見えないように紙袋に入れてって、前にも言ったでしょ!」
 と、自分の母親に向って文句を言いました。
 なるほど、島崎真凛子さんは、娘の名前がでかでかと張り付けられたジャージを捨てるのに、 名前部分を切り取ったり、外から見えないようにしたりなどの工夫をせず、 透明ビニールに入れて出してしまったのでした。
 無頓着でだらしない性格なんだと私は思いました。
 「だって、あんたもう着ないでしょ」
 島崎真凛子さんは、どこ吹く風といった調子で、的外れな言い訳をしました。
 優羽さんは、自分の母の性格については、あきらめているらしく、それ以上何も言いませんでした。 (その辺は、私と、私の母との関係にも似たものがあります)
 「そんなことより、こいつ、なに?」
 島崎真凛子さんが、不快そうに、ひろ君を指さしました。
 「女権委員会の"被調査人"だそうです。707号室から逃げ出し、地下のごみ捨て場で、女の衣類をあさっているところを、 マンション住民の方の協力を得て、逮捕しました」
 管理人の大森あずささんが説明します。
 彼を捕らえたのは、同じマンションに住む一般女性たちでした。
 地下1階のゴミ置き場で、女性の衣類をあさっているところを捕まえたのだそうです。
 小宮さなえさんが、新しく加わったメンバーに、これまでの流れをざっくりと説明します。
 「ふーん、それで、うちの優羽のジャージ盗んで、逃げようとしたんだ」
 島崎真凛子さんが、彼の頭を小突きます。
 「本当は、下着とか欲しかったんじゃないの?」
 ひろ君は、だまって下をむいたまま、何も答えようとしません。
 (ここまでの経験から、何を言っても無駄ということが分かっているからでしょう)
 「お前、シカトか!?」
 そう言って、島崎真凛子さんは、彼の耳を引っ張りました。
 彼女は、出勤前の時間をつぶされて、明らかに不機嫌でした。
 あとで聞いた話だと、彼女は九州出身ですが、DVつまり夫からの暴力を受けて、逃げて来たとのことでした。
 東京では女権委員会に保護され、小野社長たちの支援を受けながら、このマンションで一人で子育てをして、今は池袋で"魔凛"という女性客専用のバーを経営しているとのことです。
 娘の優羽さんもこの春高校を卒業し、18歳で同じお店で働いているとのことでした。
 母娘は、さすがに水商売で生きているだけあって、強気な性格のようでした。
 「こいつ、しめちゃってよ!」
 島崎優羽さんが言うと、島崎真凛子さんも、
 「優羽、よく言った!」
 と言って、ひろ君の頭を叩きました。


 「ちょっと、よろしいですか」
 女の輪をかきわけるように、前に出て来たのは、大学教授の土橋史子さんです。
 派手やかなジャケットが、この場の雰囲気には明らかに不釣り合いで浮いていました。
 彼女はひろ君の前に立つと、「いったい、どうして?」と言いました。
 「わたしは、あなたのことはとても買ってたのよ」
 土橋史子さんは、何も身に着けておらずかろうじてジャージの裾で隠れている彼の下半身に目をやり、
 「なさけない……本当に情けないわ」
 と、何度もくり返しました。
 彼女は自分の存在を誇示するように、
 「申し遅れましたが、××大学総合政策学部、主任教授の土橋史子と申します。きょうは、うちの学生がお世話になり、 本当に申し訳ありません。わたしの教育の仕方にも責任の一端があると思っています」
 と言いました。
 「あんた、関係ないよ」
 アイリスユンがそうつぶやいて、舌を出しました。
 私も同感でした。
 しかし、土橋史子さんは動じず、女たちの輪の中心に陣取ったまま、その場を明け渡そうとはしませんでした。


    
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